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4週間

昨日は何と言う事もないのに、1日物思いにふける1日でした。
というのも、4週間前の月曜日早朝、父は旅立ったのです。
明後日24日は月命日です。
あっという間の4週間でした。

だんだん家の中での父の面影は薄れていきます。
でもその分、思い出としての父が心の中に根付いていきます。

葬儀が終わりほっとした時に、出来る事なら、何とか時間を戻せないのかという感情が心を満たしました。
出来るなら、父の入院前まで時間が戻れないのか?・・・今なら、それが出来るんじゃないだろうかと、妙な気持ちになったものです。
そんなできもしない事を願う気持ちがだんだん薄れて来たということなのでしょう。

ああすればよかった、こうしてあげられなかったというマイナス思考からくる悲しみよりも、明るく笑っている父の笑顔を思い出して涙ぐむというように変わりつつあるのです。


母は私にベッタリと張り付いています。
出かけようとすると「どこに行くの?」「何時に帰るの?」と。一緒に行けるところなら一緒に行きたいと思っているようです。
私もそんな母の気持ちがわかるので、買い物や犬の散歩などには極力誘って一緒に出かけます。

別に何を話すという事もありません。黙々と歩いている時もあれば、ご近所さんと挨拶をしている時もあればという感じです。一人にしない、ならないということが、今の母には必要なのだと思います。

母と出かけるという意味もあって、今までは行っていなかった毎日曜日のミサにも出かけます。
夫と3人で行くのですが、最近では教会にも慣れて来たのか、まごつく事も少なくなってきました。
他の方達も母に声をかけて下さり、挨拶だけでも家族以外の人と交流するというのは、きっといい刺激になっているはずです。

今日はこれから一緒に歯医者に出かけます。
私の歯のメンテナンスも兼ねているのですが、総入れ歯な母は、何と何十年とメンテナンスしていないということでした。この際入れ歯の交換もしてもらいます。
何十年も同じ入れ歯を使っていたなんて、とても信じられませんでした。昔の人はそういうものだったのでしょうか?

街に出れば、売っているものもすでに春先のものです。そろそろ母の春先の服も買ってあげようと思います。
毎日のお風呂でも、曜日を決めて洗髪を手伝って清潔にして、部屋も父の部屋に移ってもらって日光の溢れる生活をしてもらい、徐々にではありますが、母のQOLも高めていこうかと思っています。

テーマ : ひとりごと
ジャンル : 心と身体

母への思い

ここ1~2年、母の意識の衰えが目立って来ています。
父が生きていた頃、自分は父の看病が役目とばかり、身の回りの世話は殆ど母がやっていました。
でも、一昨年から比べてみると、父の着ている服がいつも同じだったり、洗濯の時に一緒に洗うからか、夫の下着が著しくなくなり、反対に父のタンスの中が込み入って来たりということが目立ちました。
気がついてはいたものの、取り立てて重大なことでもなし、私も見て見ぬ振りをしていたわけです。

父が亡くなり、身の回りやタンスの整理などをしていると、夫の下着から靴下から、出てくるわ出てくるわ。
「これ夫のだよ」と言っても、頑固な母は「違うよ、お父さんのだ」の一点張り。
これも今となってはどっちでもいいことなので「じゃもらっておくよ」と持って来ちゃいます。

出来るだけ波風たてないで、母の思う通りの事をさせています。

今日は私が午前中から出かけたので、ちょっとした買い物を済ませてお昼過ぎに戻りました。
パンがないのでコンビニで買って来たのですが、母も私の留守中に散歩がてら買って来たとか。
お互いに一言伝え合えば済む事ですし、パン2斤などすぐに食べてしまうので「あららぁ~(笑)」でおしまい。
でも、私の中では、結構フラストレーション溜まってしまうのも事実です。

母は今まで、父の事で一生懸命でした。
終末末期では、父との会話も鬼気迫るものがあり、それもこれも、父が頻繁に手を煩わせる事を訴えてきていたので相当苛立っていたのではないかと思います。
今では全てが解放され、寂しさというよりも安堵感でいっぱいなのだと思うのです。
自分の体だって、若い頃と違い、いろいろともどかしさもあるでしょうし、疲れている時もあったでしょう。
それでも世話をしなければならないというのは、端で見ているより相当大変なことだったと思います。

母は父が死んでしまった事について一言も言いません。勝ち気な性格が言わせないのでしょう。
でも、その強さがあったからこそ、あの大変な終末期を父に寄り添っていけたのだと思います。
私なんか、夫と話をしているとしょっちゅうメソメソしてしまうのに、母には語る相手がいないのですから可哀想です。
私が話し相手になってあげられればいのですけど、母は耳が遠く、補聴器をつけようとしないので私には苦痛です。私は持病のせいか大声を出す事ができません。

そんな事で益々孤立してしまうというのも事実です。それがよけいにいけないことなのでしょう。
時々他人行儀な態度をとることもあり、夫がかなり心配しています。

テーマ : 心のつぶやき
ジャンル : 心と身体

フラッシュバック

先日母が私に「お父さんが夜中に『おかぁさん!』って言って起こすのよ。それから朝まで眠れなくて」と言ってきました。
夫も「廊下に佇んでこっちを見ている夢を見た」と言います。
私は私で、夢とも現実ともつかない毎日で、葬儀のあった1週間の記憶がありません。街で見かける父と同じような老人を見かけると、気がつかないうちに涙があふれてます。
娘達も同じようなことを言い、日々父との生活が懐かしまれてなりません。

考えれば考えるほど、私は確かに愚かな娘だったし、申し訳なくて可哀想で、いてもたってもいられません。

先日親戚からの電話では、家族が悲しんでいては父は旅立てない。泣いてはダメと言われました。
でも、それは無理なことです。
残された家族は、隠れたところでひっそりと涙し、黙って忍んでいるのです。
時が薬なら、早く時が過ぎていってほしいと願わずにいられないこの頃です。

入院する数日前、父が私に言いました。
「あるがままね、受け入れてね…」
難しい言葉ですね。

土曜日の午後には、昔私がピアノを教えて生徒さんご家族が来てくれました。
母が寂しさ紛れに電話して私に叱られたのですが、当時、親戚同然のお付き合いをしていたご家族で、生徒さんがご両親とともに来て下さいました。
彼女はすでに2人のお母さん。上は今年中学3年生になるのだそうです。
何処となく沈んでいた我が家でしたが、生徒さんご家族が来て下さってやっと少しは明るさが蘇ったかな?
人の心の温かさをひしと感じたのでした。

テーマ : 心と言葉。
ジャンル : 心と身体

手続き

父の諸々のお役所での手続きが、今日終わりました。
一つ一つの手続きの理由欄に『死亡』という文字が書かれてあり、死んだんだなという独特の感慨がありました。
遺族年金の手続きも終わったので、父が一番心配していた母のこれからの生活も、これで万端整った訳です。

書類の整理をしていて、生前几帳面だった父が老いて病気も悪化し、混乱する中で必死に書類の整理をしていたのが手に取るように分かります。集中力も衰え、身体的にもきつくなっていったであろう中、自分の死と向き合いながら書類を整理する。
どんな気持ちだったことでしょう。私などには伺い知ることはできません。
油断していると涙がこぼれます。
私はそんな父の気持ちを汲んではあげられなかったばかりか、何も考えていないなどこの日記に愚痴ったりしていたのです。何と愚かなことか。。。

母は、私が役所などに出向き留守をしている間、知り合いに電話をかけ、父の死を知らせているようです。
昔の私の生徒さんにまでかけているようで、帰ると「○○さんが先生の宜しくってよ」などと言います。
きっと寂しいのでしょう。

でも、今ではお付き合いがなくなってしまった生徒さん宅にまで電話をかけるのはいかがなものかと…。
出来るだけ優しい言葉で嗜めるしかありません。

一応、急いでしなければならない事は今日終わりました。
明日は少しゆっくりとして、母と散歩や買い物でも行こうかと思っています。

父が亡くなって初めて、年老いた親への孝行というのがどういうものなのかを悟りました。
それは『老いを認める』ということではなく、更にもっと入り込み『しっかり寄り添う』ということ。
歩調を合わせて、一緒に歩くということです。
実際にその通りにできるかどうかは、これからの私の頑張りに掛かってくるのですが、正直あまり自信がありません。とても難しい・・・。
日常生活の中では、生活のテンポがまるで違うのです。
私だって体調の悪いときもあれば、気分の落ち込んでいる時だってある。

でも、父に約束したのです。
日々忘れる事なく、頑張るしかありません。

テーマ : 感謝をこめて
ジャンル : 心と身体

後処理

昨日は父の初七日でした。
前日から長女が泊まりにきて、朝家族で教会に。
ミサ後、食事をして解散でした。

毎日父の遺影を見ては、悔いばかり。
日記を見直しても、いかにダメな娘だったことか。
もっと細やかに父の様子を見てあげられなかったのか?
もっと勉強をして、病状を確認できなかったのか?
あのとき、入院させなければ、ひょっとしたらまだ生きていたのではないか?
まだまだあります。
考えているとキリがありません。

父の老いを日々見つめながら、私はそれを認めたくなかった。
私は元々ファザコン娘なのです。父がずっと大好きでした。
結婚するときは『父のような優しい人』というのが理想でしたから。

昔まだ小さかった頃、私はしょっちゅう熱を出しては学校を休んでいました。
ところが父が違う。38度近く熱を出しても、父はちゃんと仕事に出かけます。
どうしてそんな事が出来るの?と父に聞くと「お父ちゃんは大人だからだよ。○子も大人になったら頑張ればいい。今は子供だからちゃんと寝ているんだよ」とよく言っていたものです。
この言葉は、私がまだ仕事をしていた頃の大きな大きな支えでした。何日も続く徹夜仕事で、心身共に疲れきってしまった時、ふとこの言葉を思い出すのです。

今週からは、役所や銀行の手続きでハチャメチャです。
何にもしていないように思えたけど、生命保険から銀行の通帳から見てみると、いろんな事を考えて後々困らないようにきちんと済ませていたことが分かります。
父の歴史を垣間みる思いでした。

罪滅ぼしにはならないけれど、感謝の気持ちを込めて、丁寧にきちんと後処理をしなければなりません。

テーマ : 心のつぶやき
ジャンル : 心と身体

プロフィール

kawasemi

Author:kawasemi
父の看病をするようになってやっと一人前の大人になったような、天然炸裂、本当に暢気なkawasemiです。
父は2011年1月24日に亡くなり、今は母を見守りながら夫と3人暮らしです。
  
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