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父、久々に…

火曜日の夜中のことです。父がせん妄状態になりました。

行って話を聞いてみると、何やら訳の分からないことを言い出し、起きて歩き出そうとします。
「目をね、こすっていたら痛くなって、どうしたのかと思ったら目が飛び出しちゃったんだよ。赤ん坊がそんなことになったら大変だたら、よく言い聞かせないとダメだよ」と大騒ぎです。
「誰に言い聞かせるの?」と聞くと「赤ん坊に決まってるでしょう?まだ小さいのに目がなくなっちゃたら可哀想だからね、大人がよく言い聞かせないと」と言います。

運よくケアマネをしている長女が泊まりにきており、対応してくれました。
調子よく話を合わせ、どうやら安心した様子です。コップ1杯の水を飲み、ほどなく眠ってしまいました。

そして夕べのことです。
あのままでは終わらないだろうという私の読みは当たり、今度は頭が痛いと言出だしました。
救急で病院に行くことも考えましたが、痛いと言っても我慢が出来る程度のもの。他に症状がなく、本人も水枕をしたら気持ちがいいと言います。立って歩くことも出来、グー、チョキ、パーもいつものように出来ます。朝まで様子を見ることにしました。

火曜も昨夜も、湿気があり気温も高かったこともあっての脱水症状だったのでしょうか。
今朝一番で病院に行きCT検査をしましたが、案の定、異常なしでした。

父は風邪などで熱が上がると、以前からせん妄状態になることがあったので、私たちもさほど驚かなかったのですが、頭が痛いと言い出したときはさすがにびっくり。
久々にうろたえました。

真夜中に置きだして一人で電気をつけて血圧を測っていたり、ベッドにしょんぼりと座って物思いに耽っている父を見ると、さすがにこちらもめげます。

でも、病院の帰りに昨日帰った長女のマンションを訪ねました。
実は病院から5分のところにあって、家に帰るより近いのです。
半日、曾孫と孫(長女)を独り占めできて、かなりご満悦。
そして、いつもと違い、かなり歩いています。病院と駐車場の往復にマンションと駐車場の往復です。父にしたらかなりの距離になります。

私も何となく開き直りのようなものがあり、父を少し歩かせてみようと思ったのです。
水分も十分にとっているし、父の速さに合わせた歩調だし、何より孫のマンションに遊びに行くというお楽しみです。少々の冒険も、私には望みがありました。

今日ばかりは、夕方になっても血圧は上がることもありませんでした。
家に帰ると大きな声でその様子を母に話していましたが、何と、ランニングにステテコですっかり寛ぎ、気温に合った格好です。
昨日までは、こんなに暑い日でもズボンにカーディガンでした。

でも今日は違います。チョット見、普通の健康なおじいちゃんという印象。
ちょっとハードな歩行訓練をした後とはとても思えません。
いえいえ、かえってそれがよかったのでしょう。
タイムスリップして、20年前に戻ったような、健康な父を垣間見るおもいでした。

せん妄、頭痛といろいろあった2~3日ですが、やっぱり年寄りにも刺激が必要なのかな?
心地よい刺激は心身共に若返るのですね。(って、分かっちゃいるのですが…)

テーマ : 病気と付き合いながらの生活
ジャンル : 心と身体

貧血のお薬追加

今日は父の貧血の注射の日でした。
本当は私、ポカをしてしまいました。。。

今までこの注射の日は木曜日だったのですが、デイと重なるので、先回から月曜日に変更してもらったのでした。
病院側では手前月曜日に変更で先週の1日にしてくださったのを、うっかりした私は、後の月曜日の今日と勘違いしたのでした。木曜日に気がつき、大慌てで今日の予約を入れたのですが、受付の方に笑われてしまいましたぁ~。

というのも、先週の月曜日は、私の仕事でお出かけしなければならなかったので、まさかダブルブッキングをしているなんて思いもしなかったのです。大失敗でした。

で、今日の診察では、相変わらず貧血が続いていると言われてしまいました。
去年、慢性硬膜下血腫のときにひどい貧血が発見され、胃潰瘍が疑われました。バイアスピリンを飲んでいる人にありがちなのだそうです。(胃潰瘍を予防しての胃の薬も飲んでいるのですが…)
急遽輸血を400ccしたのですが、血液検査の結果何処にも出血しているところがなく、代わりに慢性腎不全が悪化していることが分かりました。
まだ透析するほどではないのが唯一の救い。今の父が透析などしようものなら、たちまちショック死してしまうことでしょう。何としてもそれだけは避けなければいけません。
生涯透析する事なく、最後まで腎臓にはしっかり働いてもらわなければなりません。
そのためには、貧血の注射で対処療法をして、大量のお薬も頑張って飲んでもらわなければね。。。

今日は鉄剤のお薬が処方されました。
これで少しは気分よく過ごせるようになるかしら?
貧血の辛さは私も十分に知っています。かなりひどい貧血を治したときは、今までのダルダルな生活が嘘のように元気になり、今までの人生を返してほしいと思ったほどでしたから。

でもね、本人の自覚は全くないのです。。。どうなってるんだろう?

テーマ : 生きること
ジャンル : 心と身体

父の病院

30日は父の定期外来の日です。前夜、ほぼ貫徹に近い状態で仕事を終え、その足で病院に行くのは正直辛いです。でも、こればかりは私がやらなくちゃならない、今の私には一番大きな仕事と言えるのでしょうね。

病院はとても混んでいます。この3月からは主治医も代わりました。そして4月からは外来曜日も火曜日になります。春は何かと忙しなく、いろいろなことが変わって行きますね。

いつものように10時半の予約で病院に入り、診察室に入ったのは1時半近くでした。
いつもなら、私が先に来て、もうそろそろという頃になると父がタクシーで来るのですが、たまには一緒にと父も3時間ビッチリ待っていました。
私は寝不足なのでひたすら眠っていましたが、父はずっと起きていたようです。疲れただろうに…。

3時間待って3分の診療って、まだまだこの病院では健在です。先生は優しい印象ですが、根掘り葉掘り聞こうとすると途端に壁のオーラを発します。
ま、今の所は落ち着いているので我慢しますが、聞かなければならない時にはガッツリ聞きますから、わたくしは。

お医者さんというのは、病気というのは人間がかかったのだという事を無視しないとならないのでしょうね。
冷静に病気を診るには、人間と相対すると、何か不都合でもあるのでしょう。
どうしても血圧が夕方になると上がると訴える父に、そういう血圧の型なのでしょうと答えただけ。
同じくすりで様子を見てくださいと一言。ありがとうございますというこちらの挨拶には、お返事すらなさらず、ひたすら処方箋を書かれておいででした。


この状態でこれから先、大丈夫なのだろうかという一抹の不安を残したままですが、長く掛った病院なので、父のカルテには事詳細に病状が書かれてあります。カルテの厚さは2~3Cmはあるでしょう。今更新しい病院に行くのも、それはそれで問題があるような気もします。
これからの課題です。

テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

父の病(その4)

正直言って、そんなニコニコでボケボケな父が、今までで一番好きだったかもしれません。
一人っ子な私はずっと父母の所有物のようにして育てられ、行きたい学校まで両親が介入し、そのお陰で私はずっと学校コンプレックスを引きずってきました。
習い事も、最初はやらせてくれるのに、気に入って通い続けていると、いきなり「次からは行かないのよ」と中断させられます。それは単純に親の都合でした。だったら最初から習わせなければいいじゃないですか。
それは単純に、母親仲間で習っているところの評判が悪いとか、送り迎えが大変だからという理由でした。
小さいときは「そんなもんか」と納得も出来ましたが、大きくなってからはそうはいきません。特に受験校を決めるというときなんて、とても納得出来るものではありません。
受験の頃からでしょうか、そんな両親をみて、今まで両親第一だった私の心が崩れ始めてきたのは…。
遠くの学校を受験すると行った時、寂しさから泣いてやめてくれと私に頭を下げた父。いまでもはっきりと覚えています。そんな父の言うことに反発して、勝手に受験してしまうほど私は自立心がなかったし、何よりも親の泣き顔なんて見たくなかった。

でも、最近娘を見て思うのです。最後に選択したのは自分自身だと。結局自分で決めて歩いて来たのですよね。でもここまで来るのには随分時間が掛かってしまった。
反面、私自身の性格の弱さもあったでしょうけれど、そういう風に育てたのは両親でもあるのです。
そんな事を考えると、運命というのは、半分自分で、半分は育った環境なのでしょうかしらね?

反面教師じゃないけれど、私は自分の娘達にはいたって放任で育てました。ま、母が代わりにしっかりやっていましたけれど。
そんな母も、今では何も言わない、大人しいばぁちゃんになっています。

話が逸れました。
そんな環境でしたから、何でもニコニコと私の言うことを聞く父を見ていると、本当に可愛かったのです。
ひょっとしたらこの認知症症状はずっと消えないかもしれない。いやいや、どんどん酷くなっていくかもしれない。
予期せぬ事故(転倒)で、意識せぬところでどんどんパーソナリティーが壊れていく。そんな自分を見ても何とも思わなくなってしまった父は、哀れでもありました。

私は毎日時間の許す限り病院に行き、一方通行の話をし、一緒に笑い、一緒に驚き過ごしました。甘いものが好きだけど、病気の問屋な父は沢山制限させられます。毎日病院に行く途中には,、あれもだめ、これもだめと悩みながらも、必ずお土産を持って行きました。
おむつ交換も、看護師さんやヘルパーさんが交換してくれるのを待たずに、汚れていれば私がやりました。
手に力が入らないので歯磨きが上手に出来なければ、私がやってあげて、リハビリよ~と言って介助も惜しみませんでした。
病室に行くと眠っている時が殆どなので、足のマッサージや、手の指先に爪を立てて刺激を与えました。指先の刺激は、脳に直接行くと何処かで聞いたことがあったからです。

私の夫をあまり好ましく思っていなかったのですが、見舞いに行った夫に向かって手を握り、「○ちゃん」と“ちゃん”づけで何度も呼んでいました。私の名前もちゃんづけでした。

ふふふ、とっても可愛らしかったのです。

つづく・・・

テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

父の病(その3)

私は毎日父の見舞いに出掛けました。主治医から、出来るだけ家族と一緒に居る方が、回復が早いし予後も良いと聞かされていたからです。
ところが、行っても話は通じなく、意味不明な会話がずっと続きました。とうとう認知症になってしまったか、と覚悟を決め、私は病院から帰るとインターネットであれこれ検索し、一人勉強を始めました。
退院した後のこと、その先のこと、今後の病院のこと、要介護申請のこと。本当にいろいろ勉強しました。

否定をしてはいけないとあったので、意味不明な会話であっても、話が通じているように一緒に笑ったり悩んだり。
実際の話し、今までの父は、入院のたびに個室でした。せいぜい2人部屋。プライドが高く、すぐに隣の人と自分を見比べます。
ところが今回はどうしたことでしょう。部屋は8人部屋。
みんな父と同じように、焦点の定まらない目で、ベッドの上でお風呂に入る仕草をしてみたり、髭剃りの仕草をしてみたり、中にはずっと眠ったままで意識を回復していない人まで居るのです。
父の隣の方はそういう方でした。反対側の方は、意識のないまま父のベッドを片足で蹴り続けています。その度に父のベッドは揺れ、しまいには足に傷をつくってしまい、とうとう拘束着を着けられてしまいました。勿論、父も点滴が終わるまでは拘束着をつけられていて(事前に家族の了解はとってあった)、父は「どうしたもんか、手に力が入らなくて伸ばせないんだよ」と言っています。
拘束されている認識がないのです。排泄はおむつ。時間時間で係りの人が取替えにきてくれます。
以前の父だったら、途端に泣き出し怒ることでしょう。それが何と、暢気に、時にはニコニコと私と話をするのです。

つづく・・・

テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

プロフィール

kawasemi

Author:kawasemi
父の看病をするようになってやっと一人前の大人になったような、天然炸裂、本当に暢気なkawasemiです。
父は2011年1月24日に亡くなり、今は母を見守りながら夫と3人暮らしです。
  
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