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父の病(その4)

正直言って、そんなニコニコでボケボケな父が、今までで一番好きだったかもしれません。
一人っ子な私はずっと父母の所有物のようにして育てられ、行きたい学校まで両親が介入し、そのお陰で私はずっと学校コンプレックスを引きずってきました。
習い事も、最初はやらせてくれるのに、気に入って通い続けていると、いきなり「次からは行かないのよ」と中断させられます。それは単純に親の都合でした。だったら最初から習わせなければいいじゃないですか。
それは単純に、母親仲間で習っているところの評判が悪いとか、送り迎えが大変だからという理由でした。
小さいときは「そんなもんか」と納得も出来ましたが、大きくなってからはそうはいきません。特に受験校を決めるというときなんて、とても納得出来るものではありません。
受験の頃からでしょうか、そんな両親をみて、今まで両親第一だった私の心が崩れ始めてきたのは…。
遠くの学校を受験すると行った時、寂しさから泣いてやめてくれと私に頭を下げた父。いまでもはっきりと覚えています。そんな父の言うことに反発して、勝手に受験してしまうほど私は自立心がなかったし、何よりも親の泣き顔なんて見たくなかった。

でも、最近娘を見て思うのです。最後に選択したのは自分自身だと。結局自分で決めて歩いて来たのですよね。でもここまで来るのには随分時間が掛かってしまった。
反面、私自身の性格の弱さもあったでしょうけれど、そういう風に育てたのは両親でもあるのです。
そんな事を考えると、運命というのは、半分自分で、半分は育った環境なのでしょうかしらね?

反面教師じゃないけれど、私は自分の娘達にはいたって放任で育てました。ま、母が代わりにしっかりやっていましたけれど。
そんな母も、今では何も言わない、大人しいばぁちゃんになっています。

話が逸れました。
そんな環境でしたから、何でもニコニコと私の言うことを聞く父を見ていると、本当に可愛かったのです。
ひょっとしたらこの認知症症状はずっと消えないかもしれない。いやいや、どんどん酷くなっていくかもしれない。
予期せぬ事故(転倒)で、意識せぬところでどんどんパーソナリティーが壊れていく。そんな自分を見ても何とも思わなくなってしまった父は、哀れでもありました。

私は毎日時間の許す限り病院に行き、一方通行の話をし、一緒に笑い、一緒に驚き過ごしました。甘いものが好きだけど、病気の問屋な父は沢山制限させられます。毎日病院に行く途中には,、あれもだめ、これもだめと悩みながらも、必ずお土産を持って行きました。
おむつ交換も、看護師さんやヘルパーさんが交換してくれるのを待たずに、汚れていれば私がやりました。
手に力が入らないので歯磨きが上手に出来なければ、私がやってあげて、リハビリよ~と言って介助も惜しみませんでした。
病室に行くと眠っている時が殆どなので、足のマッサージや、手の指先に爪を立てて刺激を与えました。指先の刺激は、脳に直接行くと何処かで聞いたことがあったからです。

私の夫をあまり好ましく思っていなかったのですが、見舞いに行った夫に向かって手を握り、「○ちゃん」と“ちゃん”づけで何度も呼んでいました。私の名前もちゃんづけでした。

ふふふ、とっても可愛らしかったのです。

つづく・・・
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テーマ : 医療・病気・治療
ジャンル : 心と身体

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kawasemi

Author:kawasemi
父の看病をするようになってやっと一人前の大人になったような、天然炸裂、本当に暢気なkawasemiです。
父は2011年1月24日に亡くなり、今は母を見守りながら夫と3人暮らしです。
  
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